
ひらかれた文章は心地よい文章。エッセイ作家として培った見せ方の工夫。/作家・岸田奈美さん
インタビュー
2025/03/03


やさしく親しみやすい言葉で紡がれる岸田さんの言葉たちからは、寛容な社会へと近づくためのヒントが得られそうな気がします。愛と笑いの視点で世界を捉える岸田奈美さんに、今回お話を伺いました。
きっかけは大好きなお父さん
岸田さん:
本を読む喜びみたいなものって人によって色々あると思うんですけど、幼い頃の私の場合“ちょっと背伸びしたかった”っていうのが一番大きいんですよね。というのも、お父さんがすごい面白い人で私にとって憧れの人だったので「お父さんに認めてもらいたい」、「お父さんに褒められたい」っていう気持が強くありました。
そんなお父さんの本棚には青年漫画もたくさん並んでいたので、お父さんが出張で居ない間に勝手に手にとって読んでいたんですよ。例えば、さいとう・たかを先生の漫画とか、小山ゆう先生の『がんばれ元気』とか弘兼憲史先生の『島耕作』シリーズとか。そしてお父さんが出張から帰って来た時に、読んだ漫画の話をするんです。そしたら「え?お前あれ読んだの!?小学生で(青年漫画を読むのは)なかなかいないよ」って。そうやってお父さんと話せることがすごい嬉しかったんですよね。漫画ってルビが振ってあるものが多いから、子どもながらになんとなく読み進めることが出来たんですよ。そうやって本を読むことに慣れていたので、クリスマスプレゼントもクラスのみんながゲームとかお人形をもらっている中、わたしは辞典とかハリーポッターの本とかをもらっていましたね。
7歳の時にはお父さんからパソコンを買ってもらって「お前の友達はこの箱の向こうになんぼでもおる」って言われました。学校では話が合う人がいなかったから、当時はネット(2ちゃんねる)に読んだ本の感想とかをずっと書いていましたね。パソコンって予測変換するために自分で打ちこまないといけないから、“読む”という能力がそこでさらに鍛えられた気がします。そういった経験があったからか、現在でも文章を書くときに、喋るようなスピードで書くことができるんですよ。
お父さんの影響で幼い頃から知らず知らずのうちにある程度の本は“読める”ようになっていたという岸田さん。
自分の力で読んで理解するという経験は、大きな自信にも繋がっていったそうです。
岸田さん:国語の実力テストで『読み方の問題』がよく出てくるんですけど、おそらくあのタイプの問題で間違えたことがないんですよ。小中高大そして社会人3年目ぐらいまではほぼ全ての漢字を読むことが出来ましたね。そして、そのことがめっちゃ誇らしかったです。わたしは運動はできないし、劇で主役を演じるような人間でもなかったんですけど、本だけは読めて、みんなが知らないことを知っているっていうことが自分の中でめちゃめちゃ自己肯定感の向上に繋がった気がしています。
現代の子どもたちも憧れるのはYouTube等で活躍する大人のインフルエンサーだそうで、そういったかたたちが紹介するものを知りたがるらしいんですよね。だからやっぱり、楽しそうな憧れの大人たちが楽しそうに読んでいるものを知りたいっていうのが、子供の欲求としてあるんじゃないかな。小学生で、魚偏の漢字だけやたらと読める子がいたりしますもんね(笑)。
そうやって「自分で分かった!」とか「自力で知識を得た!」という喜びで気持ちが満たされると自信がつくので、その後の人格形成にも関わるような気がしています。だから、自分で読むことの一助としてちょっと難しい大人向けの本にもルビが振ってあるということは、すごく大事なことのように思いますね。
“ひらく”から滲み出る、寛容な空気
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』の表紙タイトルに振られたルビ。実はこれは、装丁家の方々や編集者の判断によって“ルビを振る”と決められたそうですが、その根底にあったのは岸田さんのフレンドリーさを打ち出したいという思いだったそうです。
岸田さん:ルビ財団さんからお話をいただいた時に、正直わたしとしてはあんまりルビのことを意識したことがなかったので、「そっか、そういう視点もあるんだ」って驚きました。
前職の株式会社ミライロで働いていた時にデザインの仕事もやっていて、文章にルビを振ることの大変さもよくわかっているので、書籍化にあたり出版社の方々にルビを多めに振っていただけたことがすごくありがたいなとも思いましたね。
今回のインタビューに同席していただいた小学館の編集者の方にルビを多く振った意図を尋ねると「岸田さんのフレンドリーさを表現したかった」、「岸田さんには幅広い年齢の読者さんがいることを考慮して、少しでも多くの人に読んでもらいたかった」という思いがあったそうです。
我々ルビ財団がルビフル本を選出する中で「ルビが多く振ってある本は良書が多い」、「多くの人に読んでもらいたいという思いが乗っている本は自然とルビが多くなる」という仮説が生まれているのですが、『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』もまさにそのような思いが自然と反映された本だということがよくわかりました。
岸田さん:編集者の方とこの本の打合せをする中で、初めて「漢字をひらく(開く)」っていう表現を聞いて。「ひらくって何ですか?」って尋ねたら「漢字をひらがなにすることをひらくと言って、逆にひらがなを漢字にすることはとじる(閉じる)と言うんですよ」と教えてもらい、“ひらく”ってめっちゃいい言葉だなと思いました。確かこの話題のきっかけは編集者さんから「『私』の表記を漢字にするか、ひらがなにするかどちらにしますか?」って聞かれたことで、直感的に「『わたし』でいきます」と答えたんですよ。エッセイって自分の話なのでそもそもハードルが高いし、読者さんにこっちに入ってきてもらわないといけないんです。「ごめん、わたしの話ちょっと聞いて」って。それにエッセイって大体が「わたしは~」から始まるので、そこはやっぱりひらがなでしたね。何回も使う言葉だし冒頭に使われる言葉だから、読みやすいウェルカムな姿勢を表現したいという気持が無意識にあったように思います。
8割の良しが、みんなにちょうど良い
漢字をひらいたり、ルビを振ったりやさしい日本語で表現したり。インクルーシブな社会を目指す動きが高まる中で少しずつではありますが、日本語の表現方法もこうやってユニバーサルデザインへと見直されてきています。
長年バリアフリーアドバイスを行ってきた経験を持つ岸田さんが考える、ユニバーサルデザインとはどのようなものなのでしょうか。
岸田さん:ひらくっていう言葉の空気感がめっちゃ良いなと直感的に思ったんですよね。というのも、弟がダウン症で、お母さんが車椅子生活なので、普段の生活の中で開かれることよりも閉じられることの方が多いわけですよ。2~3段の階段があると建物に入れないとか、知的障害があったらプールに通えないとか。でも同時に、そういうことが日常茶飯事だからこその視点なんですけど、みんなに・誰にでも優しい世界っていうのは、わたしはあり得ないとも思っているんです。例えば点字ブロック。点字ブロックって、目の見えない人にとってはものすごく必要なものですけど、車椅子の人からするとつまずくんですよ。こういう例を一つ取っても、全員が使いやすいことってまずあり得ないので、それぞれが80パーセントぐらい使いやすいっていうある種の妥協をしていくのが、私の中でのユニバーサルデザインとかバリアフリーの結論なんです。もしかすると将来的には、誰にとっても使いやすいが叶うかもしれないけど、今までの経験上誰にとっても使いやすいものって、みんなには実は使いづらいものだと思っています。でも、そんな中で「ひらく」って誰かに媚びているわけでもなく、来たいならおいでよっていう感じが直感的にして。だから「ひらかれている」っていう言葉ってすごくいいなと思いました。
子どもからお年寄りまで。書籍化でより幅広い読者へ
岸田さんの文章は書籍化によって、予想を超えて幅広い読者に届いたそうです。小学生から80代以上まで、様々な年齢の方から感想のハガキなどをもらう機会が増えたのだそう。
岸田さん:わたしとしてはネットにいる大人に向けて書いていた文章なので、多くの人が読みやすいようにっていうことは実はあんまり意識していなかったんです。ただ、ネット上での表現なので“どれだけ簡単な表現で深い感情を伝えるか”みたいなことはずっとやってきているつもりです。色んな情報がスクロールされて流れてゆく中で、電車の乗り換えの僅かな時間とかに目を留めてもらわないといけないですからね。でも小さい子とかから本の感想をもらえると、ルビが振られていたり簡単な表現をしたりしていて良かったなと改めて思いますね。
今回のインタビューは『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』をテーマに語っていただきましたが、単行本として既に発売されている発売されていた『もうあかんわ日記』が文庫版としてリニューアルし発売されました。
チャップリンは「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と言った。
わたしことナミップリンは「人生は、一人で抱え込めば悲劇だが、人に語って笑わせれば喜劇だ」と言いたい。(岸田奈美著『もうあかんわ日記』より一部抜粋)
「もうあかんわ」な状況に次々と見舞われた岸田さん。泣けて笑える祈りの日々を綴った魂の声。文庫版ではよりルビが多くなっていたり漢字がひらかれたりしていて、さらに読みやすくなっているそうですよ。

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