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日本語学者の庵 功雄いおり いさお さんに聞く、やさしい日本語とルビの必要性

インタビュー

2024/04/15

本記事では「やさしい日本語」とルビの重要性について、いおりさんにインタビューをしました。
ロフィール
庵 功雄いおり いさお
一橋大学国際教育交流センター教授。言語学者・日本語学者。 大阪大学文学部卒業、同文学研究科修了。博士(文学)。大阪大学文学部助手、一橋大学留学生センター専任講師、同准教授などを経て、2013年より同大学国際教育センター教授。 「やさしい日本語」の活動に取り組む。著書に「やさしい日本語 - 多文化共生社会へ (岩波新書)」などがある。

「ルビの普及には、『難しい漢字や言い回しが知的である』という社会の認識を変える必要がある。そのためには、日本語話者に対して、やさしい日本語やルビを使うことのメリットを提示することが重要」。そう語るのは、一橋大学 国際教育センター教授で、言語学者・日本語学者である庵 功雄いおりいさおさん。「やさしい日本語」の活動に取り組まれ、「やさしい日本語 - 多文化共生社会へ」という本も書かれています。

グローバル化が進み、海外の人が増える日本では、今まで以上にやさしい日本語やルビが必要になるでしょう。

本記事では、やさしい日本語とルビがいかに重要か、いおりさんのお話をまとめました。

 

漢字をより多く学ぼうとするより、「やさしい日本語でいかに相手を説得するか」

庵さんとルビ財団代表理事伊藤のインタビュー風景

「やさしい日本語」は、海外ルーツの方など日本語を母国語としない人、日本語を使わない人にも伝わるように配慮した、わかりやすい日本語のことです。ルビを振る、漢字を減らす、難しい言葉遣いを避けて平易な言葉遣いに変える、などを含みます。

海外ルーツの人が日本語で書いた文章を読む際、漢字にルビがあったほうがいいというのは、多くの人々にとって異論のない意見でしょう。ルビ財団では、日本語を話せる方に対してもルビを普及していこうと取り組んでいます。しかし、日本語話者が読む想定の文章にルビが必要かどうかは賛否両論というのが現状です。この状況に対していおりさんは、ルビが必要かどうかは、漢字をどう捉えるのかとリンクしていると語ります。

いおりさん:「漢字をなくしてカナやローマ字で全て書くべきだ」という考え方は、明治時代からありました。そこまで徹底しなくても、漢字は制限するべきだという考え方も明治の初め頃からあって、福沢諭吉なども提唱しています。

明治初期、福沢諭吉のような開化論者は江戸時代の文化をマイナスに評価していました。なぜかというと、江戸時代は知識階級に独占され、難しい漢字や言葉を使って話すことがインテリだと見られる傾向があったためです。そこで福沢諭吉は、難しい漢字や言い回しを使うのはやめて、分かりやすい言葉遣いや最低限の漢字に限定すべきだという意見を提唱しました。

戦後、日本が実質的にアメリカの占領下にあったとき、アメリカも福沢諭吉と同じようなことを考えていました。漢字という一部の知識階級が作り出したイデオロギーに乗っかったことで日本はダメになったのだと。つまりアメリカは、漢字があるから日本は識字率が低いのだと考えたわけです。結局、漢字を廃止する方向には進まなかったのですが、それでも常用漢字の数を制限したり、字体を統一したりする取り組みは行われました。

ところが、日本でワープロが普及して、読み方さえ分かっていれば漢字を筆記できるようになりました。その結果、徐々に「漢字を増やしても問題ないじゃないか。制限しなくてもいいじゃないか」という考えが広まってきたのです。

実際に現在まで、常用漢字の数は増えてきています。漢字を制限しないことで、漢字のバリエーションが増えることになり、それが文化だと捉えられているようです。その結果、漢字をどんどん増やす方向に進んだのです。しかし、この流れが本当に文化的なことなのか、いおりさんは疑問に感じているそう。

いおりさん:例えば、日本語話者全員が漢字の書き分けを正しくできるのであれば問題ないのですが、実際には書き分けられないから漢字を使うべきか、ルビが必要ではないかという論争が生まれるわけです。加えて、漢字を書き分けることにどれくらい意味があるかも考えるべきことだと思います。伝えたいことを日本語で表現するときに、限られた学習時間の中で漢字の書き分けを学び、使い分けに注力することにどれくらい意味があるのか。むしろ、漢字を書き分けるスキルを伸ばすために学習時間を使うよりも、文章によって読み手をいかに説得し、内容を正しく伝えるか、いわゆるTPOに合わせた文章を書くことの訓練に時間を割り振ったほうがいいのではないか、というのが個人的な想いです。

日本語によって知的レベルをひけらかすことではなく、日本語を使って相手を説得できることが大切と考えるいおりさん。そのために、相手を納得させる文章を書く訓練を、本来ならば学校教育でやるべきだと続けました。

日本語における正書法のあいまいさが、ルビ論争に影響している

いおりさんの語る、納得させる文章を書く訓練を学校で行うには、まず「どういう文章が良い文章か」という社会的な認識を変えなければならないでしょう。つまり、難しげな言葉や漢字を使うことは良くないことで、簡単で分かりやすい言葉で相手を納得させられる文章こそが知性なのだと、社会的に認めていく必要があるということです。そのためには、自分が書けない漢字は使わない、自分が読めない字は使わないという価値観が広まるべきでしょう。または、もし手で書けない難しい漢字を文章で使うならルビ付きにする。あるいは漢字を使わないでひらくということが必要になると考えられます。

また、ルビが必要かどうかの論争には、日本語における正書法(正しい書き表し方)のあいまいさも影響していると、いおりさんは語ります。

いおりさん:本来なら、日本語の正書法として、ルビなしでも問題ない漢字とルビを付ける漢字の判断基準を設けるべきでしょう。しかし、日本語の場合は正書法がかなりあいまいなのです。例えば、同じ「締め切り」という言葉でも「締切」「〆切」など何通りもの書き方があります。もちろん、日本語にも言語学的なルールがあるといえばありますし、新しく決めることもそれほど難しくないと思います。しかし、その基準は政治的な影響によって決められることが多いのです。「全ての漢字にルビを振ったり、やさしい日本語を使うことをルール付けたりしたら、知的水準が下がる」というように考える人がいると、その意見を反映した基準を作らざるをえなくなってしまいます。

ただ、言語学的に「この漢字にはルビを付けるべき」「この漢字には付けなくてもいい」というルールを、一定の尺度に基づいて決めること自体は難しくはなく、そういうルールを国が決めて発表するということもできなくはないというのが、いおりさんの意見です。実際、新聞社や出版社は、各社で表記の基準を作って統一しています。

日本語話者がやさしい日本語やルビを使う鍵は、非日本語話者とのコミュニケーション

庵さん

仮にルビに関する日本語のルールを決めたとして、各個人がそのルールを守るかどうかは、また別の話。ルビを不要だとする人を納得させるには、やさしい日本語やルビを使うメリット・インセンティブを提示することが必要になるでしょう。それにあたっていおりさんは、日本語話者と非日本語話者とのコミュニケーションが鍵を握ると考えています。

いおりさん:昨今、日本に外国の人が増えてきています、多くの人の隣近所に海外出身の非日本語話者が住んでいる状況です。日本語母語話者が非日本語話者と意思疎通を図ろうとしたら、共通の言葉が必要になります。その際、日本語母語話者同士で普段から使っている言葉では通じないケースが多いでしょう。日本語でも相手に伝わる言葉を選ばなければなりません。つまり、非母語話者とコミュニケーションをするためには、母語話者が歩み寄る必要があるのです。

しかし、このような議論をすると「なぜ母語話者が歩み寄りをしなければならないのか。非母語話者が母語話者と話せるように言語のレベルを上げるべきではないか」という意見が出てきます。その意見を回避する方法を見つけなければ、やさしい日本語やルビを使おうという考え方は普及していきません。やさしい日本語やルビを使うこと自体が日本語話者にとっても役に立つことだと提示しないと、うまく普及しないでしょう。その時のインセンティブとして考えられることが、外国人に分かりやすい言葉を使うこと自体が、知性であり、コミュニケーション能力の向上につながるのだという価値観を多くの人が持つことだと思います。

ここで先述の「漢字の使い分けなどに割くのではなく、相手をどう説得するかという訓練に切り替えること」の話につながります。相手を説得するために身に付けた話し方・書き方を他の場面において転用し、「今この相手を説得するにはどんな話し方・書き方をすればいいか」を考える。この技術こそが本来のコミュニケーション能力であるという価値観を普及させるべきというのが、いおりさんの考えです。

いおりさん:外国の人を相手に分かりやすい言葉で説得するということを経験し、他の場面でも転用する。それが日本語でのコミュニケーション能力を高めることにもなるでしょう。このような訓練を日本人同士でする機会はほとんどありません。仮に場があっても、言葉を意識して選ばなくても最低限のことは通じてしまうので、本気にならないことが多いと思います。この訓練が、外国の人のためにやるのではなく、母語話者にとっての訓練になって、自分のスキルアップにつながる可能性があるという考えが広まれば、やさしい日本語やルビを使うことに賛同する人は増えると思います。

やさしい日本語とルビを普及するには、情報発信者側だけでなく受信者側の意識改革も重要

やさしい日本語を使う人は少しずつ増えているものの、いおりさんの想定する普及度合いには達していないとのこと。ある程度のフェーズまでは力を入れて普及させる必要がありますが、一定水準を超えれば、自動的に広まるフェーズに突入するでしょう。

一方、やさしい日本語やルビを普及させるには、情報発信者だけでなく、情報の受信者の認識も変える必要があり、これも普及を妨げている障壁の一つだといおりさんは付け加えます。特に役所で発行する書類などを見て、思うことがあるとのこと。

いおりさん:「役所が使う言葉は難しいほうが良い」という意識が、発信側である役所の職員だけでなく受信側にもあって、難しげな言葉を使っているほうが賢く見えるという暗黙の了解ができているように感じます。発信側と受信側でこのような認識があると、例えば役所が発行した書類に書かれた漢字全てにルビが振ってあると、読んだ人は「過剰にルビを振っていて変だ」と言う可能性が考えられます。何より重要なのは、難しげな言葉を使うほうがかっこいいという意識をやめる方向に持っていき、伝えたい内容を受信者が正確に受け取れる表現を優先して使うという考え方を広めることです。

長い文章を書けば良いのか、難しい表現を使った文章が優れているのかというと、そうではありません。文章が長くなるほど論点がずれてきたり、不要な情報が入ってきたりして、かえって分かりにくくなる場合もあります。もし、話し相手や読み手が日本語に慣れていない人だった場合、伝えたい内容を充分に理解してもらえないかもしれません。そういった状況が今後増えてくると思われます。その対策として文章を短くする、ひいては内容を分かりやすくするために、やさしい日本語を使ったり、ルビを使ったりする工夫が今後、ますます求められることでしょう。