楽しむために、社会にもっと「やさしい日本語」を /集英社 第9編集部編集委員 佐藤真穂さん
インタビュー
2024/09/26
そんな「やさしい日本語」は、医療や自治体など生活に必須な分野では少しずつ浸透していますが、生活をより楽しむ・快適にするための分野ではまだまだ認知されていないのが現状です。
佐藤真穂さんは長年編集者として“言葉”に携わり、現在は日本語教師としても活躍されています。自ら「やさしい日本語」のワークショップを開き、雑誌MOREのwebサイト内MORE JAPANカテゴリーで「やさしい日本語」やルビを取り入れる活動を推進している佐藤さんに、今回お話を伺いました。
雑誌編集者から日本語教師へ
佐藤さん:日本語教師を目指したきっかけは、ある新聞記事を読んだことです。その記事には、ブラジルにルーツを持つ子どもたちと日本語教育について書かれていました。記事によると「日本語の指導が必要な子どもたちに、きちんとした支援が行われていない。教室に座っていれば自然に日本語を覚え、日本社会に溶け込めるわけではない。日本語の教員を増やして、日本語教育の態勢を整える必要がある。外国ルーツの子どもたちが将来活躍できるように支援することは、未来の日本社会のためである」ということでした。
また、同時期に外国ルーツの子どもたちの高校中退率がとても高いことを知ったのも、この記事に心を揺さぶられる理由の一つになったと思います。ちょうど私自身が定年後に何をするか、考えていた時期でした。
編集長として多くの仕事を抱えていた時は、先々のことを考える余裕が無いほど忙しい日々を過ごしていたという佐藤さん。
ですが、現場から離れ「この先自分に何ができるのか」について考え始めたタイミングで、この新聞記事と出会えたことは“ありがたい出来事”だったそうです。
佐藤さん:私は大学卒業後、雑誌編集の仕事だけをやってきたのですが、これはたぶん編集者あるあるで、“自分には特別なものがない”とずっと思っていました。というのも、私のような雑誌編集者にとっては、写真はカメラマンさんが、コーディネートはスタイリストさんが、着こなしはモデルさんが、そして文章はライターさんが・・・つまり、いろんな才能あるフリーランスの方たちの⼒をお借りして、それを一つにまとめて雑誌を作り上げるのが編集者の仕事という認識なんです。なので、どの分野に対してもそれなりに知識はあるけれど、何かひとつのわかりやすい技術に特化していないというのが、逆に⾔うとちょっとしたコンプレックスでもありました。特に「編集者なら文章を書くのはお上手でしょうから、定年後はライターになられたらどうですか」と言われることが多くて。「いえいえ、実は文章を書くのはそれほど得意じゃないんです。」と(笑)。
そんな思いを抱えたまま、では定年後に何をしようかと考えるタイミングで、その新聞記事を読み「そうか。私は40年間近く、入稿・校了と仕事で大量の⽇本語を⾒てきたんだった。特技はないと思っていたけれど、もしかしたら“日本語が特技です”と言ってもいいのかも。私にもやれることがあった!」と、急に胸にストンと落ちました。自分が既に持っていた強みを突然発見した、そんな不思議な気持ちになって自分でも驚きました。
この気づきを得て、すぐさま佐藤さんは「外国ルーツの子どもたちや、日本語が得意ではない人たちに、より良い生活を送ってもらうための支援や伴走が私にもできるはず」と思い立ち、日本語教師になるべく資格取得を目指したそうです。
佐藤さん:ちょうどコロナ禍が始まった時期だったので、夜の予定がすべて飛びました。会社の仕事を終えた後、オンラインで日本語教師養成講座(420時間の受講が必要)を必死で勉強し、日本語教育能力検定試験にも無事に合格することができました。その後は、様々な国籍の方にボランティアで日本語を教えつつ今に至ります。
女性ファッション誌MOREだからこそチャレンジできたこと
MOREは1977年創刊、今年(2024年現在)で47周年の老舗雑誌で、20代の女性を中心に全国の読者に読まれています。
そんなMOREがコロナ禍になったタイミングで、全国の読者の方々と一緒に「街を元気にしよう!」と立ち上げたプロジェクトがMORE JAPANだったそうです。
MORE JAPANでは、例えば「こでかけ」(近所や1日だけのちょっとしたお出かけを「こでかけ」と表現した造語)というテーマでMOREインフルエンサーズという読者組織の方々が全国の様々な情報を発信し、地域の魅力が再発掘されています。
そしてその取り組みが地方自治体からも評価され、新たなプロジェクトにも繋がっているとか。
そのMORE JAPANのweb版で1年ほど前から「やさしい日本語」での記事配信が始まりました。
佐藤さん:MOREのwebは月間224万UU・1854万PVのサイトです。その中で全国のお出かけ情報を発信するMORE JAPANは、月間71万UU(いずれも2024年6月期)で一番人気があるカテゴリーになります。「MOREインフルエンサーズ」の方々が書いたブログの中で特に多く読まれている記事を、構成は変えないまま「やさしい日本語」に書き換えて、再配信しています。
雑誌の文章は誌面でもwebでも端的に読者を惹きつけることが優先されるので、主語がなかったり、読者世代にしか通じない省略語やオノマトペが頻出したり、イメージだけで語ったりとかなり感覚的です。日本語が得意ではない外国の方などにとっては理解するのにハードルがとても高いんですね。そういう雑誌ならではの表現を大学の先生と学生さんに協力していただいて「やさしい日本語」に変換しています。
もちろんルビも重要な要素なので、大事にしています。今まではCMS上の都合でふりがなありとふりがななしの記事を同時に2本配信していたのですが、今年の6月にルビフルボタンを導入したおかげで、MOREの「やさしい日本語」の記事がとても読みやすくなりました。
出版業界にも必要な努力
佐藤さんが発起人となり始まったMOREのwebに「やさしい日本語」を導入する取り組み。
“言葉”に関わる出版社だからこそ、この取り組みはスムーズに立ち上がったのかと思いきや、当初は“誰も知らない”ところから始まったのだそうです。
佐藤さん:社内で何かできないかと思って動き出したとき、「やさしい日本語」を知っている人はほぼゼロでした。というのも、私たち出版社の人間の頭の中は“国内の読者=⺟語話者”しか想定されていないからかもしれません。外国にいる読者に向けて翻訳したものを出す、というのはイメージできても、国内で日本語が得意ではない人が読者かもしれないという感覚は、ほぼないと言っていいと思います。
ですが、「本当にそれでいいのだろうか」「読者を増やす努力を十分にしているのだろうか」という個人的な疑問から、この「やさしい日本語」のプロジェクトは始まりました。
漢字へのハードルが高い人がいるのならルビを増やしたらどうだろう、日本に住んでいる外国の方にも自分たちの雑誌や記事を読んで欲しいなら、日本語の表現をさらにわかりやすいものに変えてみたらいいのでは、そういう切り口から“読者を増やす努力”はもっとできるのではないかと思いました。
こういう提案をすると「それなら(国内の読者に向けても)多言語化するのが近道なのでは?」と一足飛びの結論になりがちなのですが、それだとリソースもコストもかかり過ぎます。「漢字だけが不得意」とか「書き言葉は難しいけれど、会話の日本語なら理解できる」とか、“苦手”にもいろんなグラデーションがあるはずで、だったら、まずは日本語の難しい言葉や言い回しを伝わりやすい表現に変える、漢字にルビをふる、というところからスタートするといいですよね。
そもそも「やさしい日本語」とは、震災の際の反省をもとに生まれたものなので、医療や地方自治体など“生活に必須な分野”への普及は徐々に進んでいます。
しかし、自身がメディアに関わる人間として、同じ国で同じものを⾒ながら⽣きている人々に“⽣活を楽しむための情報”も「やさしい⽇本語」で発信すべきだと佐藤さんは考えたそうです。
佐藤さん: 私自身、日本語教師になり、外国の方とのやりとりに「やさしい日本語」を使うことで意思疎通がしやすくなることを感じていました。実体験を踏まえて、もっと世の中に「やさしい日本語」で情報を出すべきだと思うようになりました。
“⽣活に必須の情報だけなく、⽣活を楽しむための情報も「やさしい日本語」で”と考えたとき、これは⾃分が携わっている雑誌というメディアでできることだなと気づいたのが大きかったです。楽しい情報を読者に届けるのは、私たちがずっとやってきたことなので。
MOREインフルエンサーズの方々や、書き換えを手伝ってくださっている大学の先生や学生さんたちのおかげで、「やさしい日本語」の記事のPV数はこの1年でかなり増えました。外国の方からは「(やさしい日本語で書いてあると)レベル的にちょうど合うし、実際に日本の人たちが良いと思っている情報を知りたかったから嬉しい」、「日本の雑誌メディアがこういう取り組みをしてくれていることに驚いた」という反応をいただいています。そういった声を聞くと、「やさしい日本語」やルビをつけて、生活を楽しむための情報を伝えることの重要性を、ますます実感します。
いわゆる女性ファッション誌の中でこの取り組みを行っているのはMOREだけです。私たちの情報発信を起点に、「生活を楽しむためのやさしい日本語」をもっともっと世の中に増やしていけたらいいなと思っています。
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